コンフュズィオン・セクスュエル
コンフュズィオン・セクスュエル
多くの方には聞き慣れない言葉だと思います。
葡萄畑で蝶による被害を減らすために使われています。
まぁ 蝶というより蛾と言った方がいいような虫なんですが 葡萄畑に卵を産むとその幼虫に新芽やら葡萄の果実を食べられちゃう。
そこでコンフュズィオン・セクスュエルを使うわけです。
メスのフェロモンが放たれる小さなカプセルやリボンみたいなものなんですが それを葡萄樹を支えるワイヤーや葡萄の枝にぶら下げておくと オスはあちこちからメスに誘惑されてるような錯覚に陥る。
メスがわんさかいるハズなのに そこにメスはいない...
本物のメスに気付かづ右往左往。
どこに行ったらメスに巡り合えるのか‥
同じ男としてその状況を想像すると…あまりに残酷です。
が 結果 畑内での交配が減って殺虫剤を使用しなくて済む。
また蛾が全く交配できないわけでもないし 蛾を殺しちゃってるわけでもないから 自然環境に与える影響も最小にできるというもの。
1970年代中頃には存在していたようですが 上質なワインを造るためには化学薬品を使用しない葡萄栽培が大前提という考えが広まったここ15年くらいから増えてきたものだと個人的には思っていました。
がしかし。
アルザスのランジェンという特級畑では なんと1993年に殺虫剤の使用を止めコンフュズィオン・セクスュエルによって害虫対策をするということがそこに区画を所有する全生産者が同意のもと実行されていたということを やってるフリ が大好きな都知事のおかげで最近知ることができました。
今から25年以上も前にって凄い革新的だと思います。
それはランジェンがアルザスを代表する偉大な畑で 且つそのあまりに急峻な斜面がもたらす過酷な労働環境を嫌いそこで葡萄栽培をするのは意識の高い僅かな生産者しかいなかったから可能だったと言えるかもしれませんが。
ところでみなさまは佐賀市が水路が張り巡らされた街だということをご存じでしょうか?
ハバネロ 恥ずかしながら知りませんでした。
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で 治水の神様とも言われた成富兵庫茂安によって築かれた水路が今も残っているそうです。
が そのために蚊が多く発生してしまう。
その対策として蚊の幼虫であるボウフラが成虫になるのを抑えるために薬剤散布を強化しているとか。
さすがにできる限り他の生物への害が少ない薬剤を使っているそうですが 所詮は化学薬品。
環境にいいわけがない。
で思ったんです。
コンフュズィオン・セクスュエルって使えないものなのか と。
蚊だって交尾して産卵するわけでしょ?
できないものなのかなぁと。
そんなこんや今夜のおまけ画像はこれしかない!
ズィント・ウンブレヒトの1996年 リースリング グラン・クリュ ランジェン・ドゥ・タン クロ・サン・テュルバン
特級ランジェンといえば何よりも有名なのがウンブレヒトが所有する区画 クロ・サン・テュルバン。
次いでショフィットが所有する区画 クロ・サン・テオバルでしょう。
20年以上前には日本ではこの二つしかランジェンのワインを目にすることはなかった。
まぁでも他にも所有者はいて現在は協同組合も含めて9つの造り手のようです。
化学薬品の使用禁止とコンフュズィオン・セクスュエルの導入。
密植度をヘクタールあたり6.000本以上と決めた1993年当時はもっと少なかったと思うんですけどね。
ホント 時に死者が出るほどの急斜面。
この画像で伝わるのか?
いや伝わらないんだよなぁ。
実際にあの場に立つと足がすくみます。
とんでもない場所でワイン造ってるんだなぁと実感します。
ちなみに小さな建物がサン・テュルバン礼拝堂。
あれチャペルなんです。
とにかく 今と違ってワインが売れなかったわけです 20世紀は。
どんなにポテンシャルが高い畑であろうとそんな時代にわざわざ命懸けで農作業するって まぁクレイジーですよ。
実際 ウンブレヒトも打ち捨てられていたクロ・サン・テュルバンの区画を1970年代後半に手に入れワインを造るようになった。
中世の時代から偉大な畑として名を馳せたランジェンも荒廃していたのです。
多くの生産者が栽培をあきらめた畑を手に入れ全力で再生した。
高品質ワインを追求するレオナール・ウンブレヒトだからできたことです。
アルザスで最も南に位置し また真南向きの超急斜面の畑は標高の高さもあり熟すのが遅い。
でもそこに意味がある。
ゆっくり熟さなきゃポテンシャルの高い葡萄はできない。
グラン・クリュ ランジェン クロ・サン・テュルバン 実に驚異的なワインです。
類稀なテロワールと造り手の魂がこの骨太で深遠なワインに詰まっています。
0コメント